■浄土真宗では卒塔婆供養(そとうばくよう)をしないの?
ほかの宗派ではほとんど「卒塔婆供養(そとうばくよう)」をするのに、どうして浄土真宗にはないの?浄土真宗には「戒名」や「位牌」がなく、お墓に「梵字(ぼんじ)」を彫りません。「水子地蔵尊」も建てず、「五輪塔」のお墓をあまりすすめません。「お盆」や「お彼岸」にも独特の考え方があり、他宗とはおおきくちがいます。それは浄土真宗を開かれた親鸞聖人の教えにもとづく、ちゃんとした理由が有るからです。ですから、「浄土真宗」の教えを知らないと、こうした習慣はとても理解できません。まず浄土真宗という宗派から見てみましょう。
■浄土真宗ってどんな宗派?
今では浄土真宗といいますが、親鸞聖人を宗祖とする教団は最初「一向宗(いっこうしゅう)」と呼ばれていました。明治5年から「浄土真宗」が一般的になり、「真宗十派」に別れました。(現在は「真宗教団連合」となっているそうです。)中でも親鸞聖人の血脈を引く、「お西さん」=西本願寺が本山の浄土真宗本願寺派「お東さん」=東本願寺が本山の真宗大谷派は日本有数の大宗派です。本山はいずれもJR京都駅から北へ歩いていけます。(他派は最後に記載)
宗門で「浄土真宗」というと「本願寺派(お西さん)」のことを指しますが、普通は真宗十派を含めて「浄土真宗」と言いますので、ここでもその意味に使います。
■浄土宗と浄土真宗
親鸞聖人(1173~1262年)は最初、比叡山で修行され、やがて浄土宗の開祖・法然上人(1133~1212年)の弟子になられました。浄土の教えは中国で生まれ、日本へは平安時代はじめ、比叡山で天台宗を開かれた伝教大師・最澄によって法華経や禅や密教の教えとともに伝えられました。鎌倉時代の新しい仏教はすべて比叡山から生まれましたが、「浄土宗」もその一つです。「ナムアミダブツ」ととなえる人は死後すべて浄土は往生させる、というアミダ様の誓願を信じて、ひたすらお念仏をするのが浄土宗の「専修念仏」です。親鸞聖人は、「法然上人の教えと自分の教えは同じ」とのべておられます。
■信心と絶対他力
浄土真宗の「信心」とお念仏
しかし、親鸞聖人は「専修念仏」をさらに「真実の信心を得ればまちがいなく浄土に生まれるのが浄土真宗」(『唯信鈔』・ゆいしんしょう)とする「信心往生(しんしんおうじょう)」へと深められました。ひたすら念仏をすることは大切ですが、まず「真実の信心」がなくてはならない、という教えです。でないと、お念仏の回数を自慢したり、念仏だけで安心します。それは真の「絶対他力」ではありません。
■絶対他力とアミダ様の本願
お念仏は「自分の力(自力)」で称えるのではなく、本当はアミダ様の「本願の力(他力)」によってお念仏しているのです。それが正しい「絶対他力」の意味です。世間では「他力本願」をほとんで「他人の力」という間違った意味に使いますが、正しくは「アミダ様の本願の力」という意味です。
■「本願」ってな~に?
アミダ様(阿弥陀如来)がまだ法蔵ボサツという名で修行されていたとき、四十八の誓願をお立てになりました。その事は浄土真宗の根本経典である『浄土三部経』(岩波文庫)の一つ『(大)無量寿経』(だいむりょうじゅきょう)にあります。法然上人も親鸞聖人も、その第十八願を「本願」に選ばれたのです。また次の第十九本願や『阿弥陀経』には、「もし臨終の時に念仏をとなえる人が一人でも浄土に生まれないなら、私は仏とならない。」とあります。この教えが人々の大きな救いとなりました。
■浄土真宗の考え方
アミダ様の教えを信じて、お念仏をする人はすべて、平等にお浄土へ往生する(還る)、という教えの浄土真宗では、他の宗派とか世間一般の先祖供養やお墓の習慣とはちがう、独自の考え方があります。それで「門徒もの知らず」などと言われますが、本当は、それだけアミダ様への信仰が厚い、ということです。
■「戒名」がない理由
浄土真宗は、アミダ様を信じ、お念仏を称えることがすべてで「戒」を受けて仏様の弟子になる必要さえありません。従って、「戒名」はありません。かわりに「おかみそり」という帰敬式(ききょうしき)をうけ、男性は「釈○○」、女性は「釈尼○○」という「法名」を頂きます。これは浄土真宗に帰依(帰命・きみょう)し、信仰とともに生きる「あかし」です。生前に頂かなかった人も死後に頂きます。ただ、他宗のように「院号」、「院殿号」や「道号」それに「居士」「大姉」などの尊称は本来付けないのが本当です。それは浄土に還ったらみんな平等であるからです。
■故人の「霊魂」や「魂魄」を認めません
死後の「霊魂」や「魂魄」を認めないので、法名の下に「霊位」を付けません。また「精霊棚(しょうりょうだな)」をつくってご先祖様の霊をお迎えする「お盆」の意味も当然ちがいます。他宗のようにお仏壇やお墓を購入したり処分するとき「開眼供養(かいげんくよう・入魂式・お性根入れ)」や「閉願供養(へいがんくよう・抜魂式・お性根抜き)」をしません。ご先祖様の「霊」が宿る「位牌」もありません。(代わりに「法名軸」を用います。)お墓には水子の霊を供養する「水子地蔵」を建てません。これらはすべて、死後の「霊魂」を認めない浄土真宗の教えでは、当然のことといえます。
その他、浄土真宗のさまざまな考え方と作法などは、本山発行の末本広然著『仏事のイロハ』(本願寺出版社)や野々村智剣著『門徒もの知り帳』(法蔵館)をご覧下さい。
■死後はアミダ様の浄土に還る
このように世間一般の習慣とちがうのは、浄土真宗の門徒さんが亡くなると、すべて「アミダ様のお浄土へ還る」という教えにもとづいているからです。それで「あの世」や「六道輪廻・ろくどうりんね」で苦しむ故人やご先祖様を自力で追善し、追福する必要がないのです。弟子の唯円の有名な『歎異抄(たんにしょう)』に「親鸞は、父母の孝養(きょうよう)のためを思って、念仏したことは
一度もない」(岩波文庫)と父母の追善(孝養)のための念仏を否定されました。
■本願寺とお墓
お墓のことは、覚如上人(第三世)の『改邪鈔』(かいじゃしょう)にある親鸞聖人のお言葉をまず聞いて下さい。「私が目を閉じたら、賀茂川に投げ入れて魚に与えよ」(石田瑞麿訳『東洋文庫33』平凡社)とご聖人さまはいわれました。しかし、だれもその通りに出来ませんでした。ご聖人様のご遺徳をしのぶ心が「お墓」となったのです。親鸞聖人が火葬され、末娘の覚信尼によって六角堂の「廟堂」が建てられました。やがて第三世覚如上人は、そこを本願寺としました。つまり本願寺は親鸞聖人のお墓から発展したお寺だったのです。そして、真宗十派を合わせると日本一大きな教団ですから、お墓の数が日本一多いのも浄土真宗です。
■本山への納骨
浄土真宗にはお墓とは別に本山の御廟へ納骨する習慣があります。蒲池勢至先生(がまいけせいし)によりますと、十七世紀(江戸時代・寛文年間)後半から始まったそうですが(『真宗と民俗信仰』吉川弘文館)、今日ではほぼ全国的に広まっています。本山納骨は「お手つぎ寺(菩提寺)」にご相談下さい。
■五輪塔を建てる地域は多い
浄土真宗は「五輪塔を建てない」というのは、正確ではありません。近畿一円、広島、福井、石川、富山などの門徒さんは、確かに殆ど五輪塔を建てません。しかし、特に関東以北では、他宗派と同じ割合で五輪塔を建てます。先生が京都・大谷本廟で調べたら、いくつも五輪塔があったそうです。また、岡崎市(愛知県)妙願寺所蔵の『親鸞絵伝』(重要文化財)のご聖人様のお墓は五輪塔です。真宗は五輪塔を建てない、とは言い切れません。五輪塔のことは、ご住職に相談されると良いでしょう。
■墓石になんと書くの?
墓石の正面は『南無阿弥陀仏』と彫ることをおすすめします。それは、お墓に手を合わせるのはご先祖様のためでなく、「感謝の気持ち」と「ご先祖様が礼拝されたアミダ様」に手を合わせる、という理由からです。また、『阿弥陀経』にある『倶会一処(倶(とも)にお浄土で会いましょう)』もすすめます。いずれにしても「先祖代々之墓」や「○○家之墓」とか、墓石の正面に「家紋」を刻むのは、浄土真宗の門徒としてあまり好ましいこととはいえません。
■浄土真宗の「墓誌」は「法名碑」(ほうみょうひ)
最後に、墓石の側面に書ききれなくなったら、「墓誌」、「墓碑」、「霊標」を建てますが、真宗では「霊標」といわずに、「墓誌」、「墓碑」は「法名碑」といいます。
■浄土真宗について
ご本尊さま=阿弥陀如来
所依の教典=無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経(浄土十三部経)
おつとめ=正信偈(しょうしんげ・正信念仏偈)、和讃(わさん)、讃仏偈(さんぶつげ)、重誓偈(じゅうせいげ)、十二礼(じゅうにらい)、御文(おふみ・御文章)
真宗十派=最初にあげた二派のほか、真宗高田派(三重県)、真宗仏光寺派(京都市)、真宗興正派(京都市)、 真宗木辺派(滋賀県)、真宗出雲路派(福井県)、真宗誠照寺派(福井県)、真宗三門徒派(福井市)真宗山元派(福井県)の八派。
真宗十派の寺院数は約二万一千寺、門徒数は約一千三百万人
※なお「悪人正機説」「報恩」思想などは省略しました。