■生前にお墓を建てると演技が悪いか
お墓にまつわる迷信・俗信・言い伝え(伝承)には、驚くほど様々なことがあります。手元に『故事・俗信ことわざ大辞典』(小学館)があれば、「墓」や「死」という項目を索引で調べてみて下さい。たくさんの用例が載っています。最近、「寿陵」(じゅりょう)という言葉を耳にしますが、これは、「生前にあらかじめ建てておくお墓」のことです。ところで、あなたは生きているうちにお墓を建てたり、お仏壇を購入するのは「縁起が悪い」と思われますか?それとも「縁起が良い」と思われますか?
では、生前に建てる「寿陵」のお墓に、日本人は昔からどんな考えを込めていたのか、その正しい意味を見ることにしましょう。
■聖徳太子も昭和天皇も寿陵だった
有名な吉田兼好の『徒然草』(つれづれぐさ)第六段に、聖徳太子が生前にお墓(磯長陵・しながりょう・大阪府太子町)を建てた逸話があります。また、『日本書紀』には、日本最大(全長486m)の前方後円墳(大阪府・堺市)を建てた仁徳天皇が「河内石津原(かわちいしつはら)に幸かれて(ゆかれて)陵地(みそぎのところ)を定め、御陵(天皇のお墓)の築造を始めた」という記録もあります。1500年以上も昔から、日本には生前にお墓をつくる「寿陵」(じゅりょう)の風習があったのです。
記憶に新しいと思いますが、昭和64年1月に昭和天皇がお亡くなりになり、2月24日の大喪の礼(たいものれい・天皇のご葬儀)の後、その日の夕方には「武蔵野陵」(むさしのりょう・東京・八王子市)で埋葬が行われました。新聞・テレビで大きく報道されなかったのですが、ご生前に御陵(おみそぎ)が造られていたから可能だったのです。つまり古代から今日まで、「寿陵」の習慣は生きていたのです。もし、本当に「縁起が悪い」のなら、昭和天皇のお墓を生前につくったりするはずはありません。
■還暦と赤いちゃんちゃんこ
60歳になると、生まれた歳の干支が再びめぐってきます。十二支(子・丑など)と十干(甲・乙など)の組み合わせでそうなるのです。これが「還暦」(かんれき)で3,000年以上も前から中国で使われている暦の数え方です。還暦には、「長寿のお祝い」のほかに「赤子に戻る=生まれ変わる」意味があります。それで還暦には、昔から赤い「ちゃんちゃんこ」を着ます。平均寿命が20歳以上も高くなった現代では、60歳はまだまだ現役です。恥ずかしくて、赤い「ちゃんちゃんこ」を着る人も稀なようです。
■「生まれ変わる」すばらしい智恵
還暦の「赤ちゃんに還る=生まれ変わる」とは、生きているうちに、還暦を節目に、一度死んで、これまでの人生をきれいに精算し再出発することで、いわば今後の人生をよりよく過ごすための「すばらしい智恵」なのです。「寿陵」も生前にお墓を建てて「一度死に、改めて生まれ変わる」ことが本来の意味です。
■生まれ変わり
民俗学者・宮田登さんが『生まれ清まり』という、奥三河の花祭り「シラヤマ(白山)」行事について、朝日新聞に次のような文を書いておれらます。
・・・畑の真ん中に白い御幣で覆われた建物がつくられ、クライマックスに鬼によって破壊される。その建物の中には、60歳になった村人たちが前夜よりこもっている。飛び出てきた男女を見た人々は、あの人たちは神の子になったと喜ぶ。これを「生まれ清まり」と称したのである。・・・恐らく人は一生の間、何度も「生まれ清まり」を続けながら生き続けるのであろう。毎年正月を繰り返す気持ちの奥にも「生まれ清まり」があるから、年末衰えかかった心身に活力をつけるのである。(以下略)
これは民俗学でいう「擬死再生」(ぎしさいせい)の行事です。生きているうちに「死んだ」体験をし、あらたに「神の子」として「生まれ清まる」のです。こうした体験をすると、人は「健康」で「幸福」になり、「長生きをする」といわれます。それまでの人生にあった「罪や病気など、全ての不幸を全部洗い流す」と信じられているからです。
■善光寺の「胎内くぐり」
長野の善光寺にお参りされた方は、本堂下の「胎内くぐり」(回壇めぐり=戒壇めぐり)をご存じでしょう。曲がりくねった真っ暗なトンネルがあり、その中を通って出てくると「極楽往生」できると信じられています。暗闇のトンネルが「あの世」です。ここをめぐることで、死を体験します。トンネルの中では、亡くなったわが子に会えるとか、また、その時履いたものを棺に入れると往生できるそうですが(五来重『善光寺まいり』)、胎内のトンネルから出てきた時には「生まれ清まり」になっています。四国・善通寺(香川県)の本堂下や鎌倉(大船観音の裏)にもあります。会津の飯盛山の横の「さざえ堂」もかつてはそうしたお堂でした。(現在はちがいます。)
■聖徳太子の古墳「磯長陵」(しながりょう)
聖徳太子のお墓は円墳(えんふん)で、今はお寺です。平安・鎌倉時代は自由に出入りできたらしく、胎内くぐりに通じるお坊さんの修行場でした。平安時代には弘法大師・空海や何人かのお坊さん、それに東大寺を再建した鎌倉時代の重源上人(ちょうげんしょうにん)もここにこもって「擬死再生」の修行をした記録が残っています。(『聖徳太子伝私記』)
■各地にある練供養のお寺
全国各地にある「練供養」(ねりくよう)も同様の行事です。宗教民族学者・五来重(ごらいしげる)先生の『先祖供養と墓』(角川書店)という本を参考にしながらご紹介します。練供養(ねりくよう)とは、アミダ様が25人のボサツとともに迎えにきて、浄土に導くという「迎講」(むかえこう)です。こうした寺には「浄土堂」と「娑婆堂」があり、その間に橋掛かりをつけ、そこを往来します。古くは「厄年」の人がボサツに扮装して「厄落とし」をしました。娑婆(この世)から浄土(あの世)へ出て行き、また還ってきます。浄土へ往く(死ぬ)ことによって極楽往生が決まり、この世に還ってくる(生まれ清まる)と、病気がよくなり、寿命も延びる、と信じられているのです。
有名なのは奈良の当麻寺(たいまでら)です。ほかに矢田寺(=金剛寺・奈良)、泉涌寺・即成院(せんにゅうじ・そくじょういん・京都)、大念仏寺(大阪)、九品仏・浄真寺(くほんぶつ・じょうしんじ・東京)、大山寺(だいざんじ・神戸・垂水)、千手山・弘法寺(せんじゅざん・こうぼうじ・岡山・牛窓=現在はありません)、法然上人ゆかりの誕生寺(岡山・稲岡荘)、大伝寺(だいでんじ・鳥取・東郷池)などがあります。
このように「練供養」や「胎内くぐり」、「還暦」など様々な「擬死再生」の行事が古くから民間信仰としてありますが、その一つが、生前にお墓を建てる「寿陵」だったのです。こうした行事や風習は、病気が治り、これまでの罪が消え(=滅罪)、健康で長生きできる、という現世利益によって多くの人々の信仰を集めています。
■寿陵のルーツは秦の始皇帝
近年、中国で兵馬俑(へいばよう)が発掘されて話題になりました。それは秦の始皇帝(紀元前3世紀前半)が生前、35年もの年月をかけ、70万人の受刑者に造らせた「驪山陵」(りざんりょう)の一部でした。実はこれが「寿陵」の始まりです。その後、中国から日本へ渡来した人々が、こうした古墳の造築法や「寿陵」を伝えました。始皇帝は道教の「不老長寿」を信じたことでも有名ですが、不老長寿の薬「金丹」(きんたん)は、金と水銀が基本物質です。(吉田光邦著『錬金術』中央公論社)水銀の原料は朱い(あかい)「丹砂」(たんしゃ)です。司馬遷の『史記』によると、始皇帝の山稜の地下に水銀の川がめぐらされていたそうです。水銀には「不老長寿の願い」が込められています。それが朝鮮半島や古代日本に伝わしました。
■なぜ戒名を朱くするのか?
最近の寿陵は、建墓した人が生きている間は「建立者」の名(姓ではなく)を朱色(あかいろ)にしますが、本来は「戒名」の部分を朱くします。これはインド仏教の習慣ではありません。中国に始まった習慣で、ルーツは始皇帝の山稜です。日本の古墳の石棺や木棺の内側はほとんど水銀の朱が塗ってあります。考古学者は「防腐剤」と言いますが、本当は「不老長寿の願い」です。これが寿陵の朱文字本来の意味です。現代中国でも寿陵には朱文字を入れます。
■仏教の「逆修」とお位牌の朱文字
仏教の「逆修」(ぎゃくしゅう)とは(「逆」は「あらかじめ」とも読みます)、生前に戒名を頂き、お位牌や寿陵の戒名に朱文字を入れて、あらかじめ自分の死後の供養をすることです。その功徳は計り知れない、と『地蔵本願教』(じぞうほんがんきょう)にあります。
■寿陵を立ててよりよい人生を
生前にお墓を建てる寿陵は、道教の「不老長寿の願い」と仏教の「功徳」や「滅罪」とが結びつき、日本人の生き方に新しい「もう一つの人生」を教えてくれました。寿陵に込められた「これからの人生をよりよく生きるための素晴らしい智恵」を、是非活用して下さい。